【HSPの当事者研究⑦】「気にしなきゃいいのに」の言葉で追い詰められる理由

「相手に言われた言葉がもう忘れられない」「何度も思い出してしまってしんどい」

そんな経験はありませんか?HSPにとっては日常かもしれませんね。

私も幼い頃から親や先生、周りの友達に数え切れないほど言われてきました。

ですが、「気にしなきゃいい」と言われて楽になることはほぼありませんでした。

そしてそう言われれば言われるほど、気にする自分が悪いのか…と悪循環に陥っていきました。

どんどん追い詰められてしまうんですよね。

今回は、そんな「気にしなきゃいいのに」という言葉で、なぜ追い詰められるのか…当事者研究第7弾です。

前回の記事はこちら

HSPの当事者研究⑥正義感が強いのはなぜ?

1.「気にしなきゃいいのに」の言葉で追い詰められる理由

1-1.なぜ追い詰められるのか

高木のぞみ
こんにちは。HSPママの高木のぞみ(HSPmama_mibuki)です。

ではまず、何故この言葉で追い詰められてしまうのか考えてみたいと思います。

私が「気にしなきゃいいのに」と言われた出来事は数え切れないほどありますが、その時にどんな心境になっていたのか、挙げてみます。

  • そんなことで気にしてしまうなんて、私の受け止め方が悪いのかな
  • 私の感じ方がおかしいのかな
  • 心が弱いんだろうか

こんな風に思っていました。

だからそう言われる度に、こんなことも跳ね除けられないなんて、自分は弱いんだ、他の人よりダメなんだと落ち込んでいました。

1-2.HSPの感じ方は気にしすぎなのか?

次に、ではそもそも「気にしなきゃいいのに」という言葉は正しいのか考えてみます。

気にしなきゃいいのにと言うのは、【気にならないことをわざわざ気にしている】というニュアンスがありますよね。

ではHSPの感じ方は、わざわざ気にしているのでしょうか?

違いますよね。

HSPの感じ方は、程度の差はあっても、瞬間的に感じていると思います。気にしよう気にしようと、あえて考えて気にしているのではありません。

だから、気になっている時に、「気にしなきゃいいのに」はそもそも合っていない言葉だと思います。

ただ、私自身、数え切れない程言われてきたように使ってきた言葉でもあります。落ち込んでいる人にはかけやすい声掛けのひとつですよね。

では、どんな場合なら良くて、どんな時はダメなのか深堀していきたいと思います。

2.「気にしなきゃいいのに」はどんな時なら言っても大丈夫?

まず、そう言われるのはどんな時でしょうか?

大きくわけて2通りある気がします。
1つは、相手の言動に傷ついて、不快感や悲しみが収まらず落ち込んでいる時。

もう1つは、自分の言動が相手を傷つけたのではないかと心配している時。

後者は、相手を心配しても、本当のことはわからずもやもやしますよね。

そんな時に言われる気にしなくてもいいんじゃない?はそれによってすぐ楽になることはなかったとしても、その言葉でなおのこと傷ついたり、不愉快な思いはあまりしないですよね。

だから、こういう場合は使っても大丈夫だと思います。

ですが、前者は、ただでさえ傷ついている心をえぐってしまう可能性が高いです。

誰かの言葉で、傷ついている事実があるのに、気にしなきゃいいと言われるのはどういう状況なのか、考えてみたいと思います。

例えるなら、誰かに怪我をさせられた場合です。

たまたまぶつかられて打撲したり、故意に叩かれたり、状況はさまざまですが、怪我をしている人が、まだ痛いと言っているのに、それくらいの痛み気にしなきゃいいのにと言っている場合です。

痛みは人それぞれですし、痛いと言っている以上は痛いのは事実です。

怪我の痛みを訴えている人に対して、気にしなきゃいいという言葉は、そもそも日本語として会話になっていないですよね。

3.まとめ

落ち込んでいる人にかけるならば、

  • 大丈夫?
  • それは痛いよね
  • 早く良くなるといいね

こういう言葉ならいいですよね。

相手の言動に傷ついている時もこれと同じだと思います。

その傷が目に見えないだけで。

そして、これはHSPに限ったことでもないと思います。確かにHSPは気になる事柄も、気になる事が体に及ぼす影響もひといちばいです。

NonHSPの人と比べると、24時間のうち、何らかのことを気にしてしまう時間が多いのは間違いないと思います。特に敏感さのレベルが高ければ高いほどその傾向は強いと思います。

しかし、HSPではなくても、傷ついているのに気にしなきゃいいと言われて、そうか気にしなきゃいいのかと楽になれるものでしょうか?

有り得ないですよね。

  • 大丈夫?
  • それはつらかったね。
  • 気分転換に出かけよう。

こういう言葉で世の中が溢れれば生きづらさを抱える人はもっと減るんじゃないかなと思わずにいられません。