愚痴を言う自分が嫌いで、つい自己嫌悪に陥る人へ

最近、こんな相談を受けました。

結構よくある悩みなのではないかと思います。

「他人の悪口は聞くのもイヤだし、自分でいうのもイヤです。

それなのに、つい愚痴を言ってしまう自分もいて、自己嫌悪に陥ります。」

こういう悩みは、特にHSPに多いのではないかと思います。

平和主義なのに、他人を悪くいってしまう自分、あるいは周りを巻き込んだり巻き込まれたりすることにも、抵抗を感じやすいと思うからです。

そこで、「愚痴を吐くの意味と効用」について考察します。

1.愚痴を言うのは苦しみの表現の一つ

高木英昌
児童精神科医です。自分を知ることで楽に生きられる人が増えることを願っています。

愚痴は、グチグチ粘っこくて、陰湿なイメージがあるため、基本的には「悪いこと」と考える人が多いと思います。

不平不満や、他人の粗探しみたいで、聞いていてもいい気持ちはしにくいものです。

真面目な人ほど、愚痴を吐いてしまうことに自己嫌悪になりやすいでしょう。

とはいえ、愚痴を吐かない人はいないのではないでしょうか。

口に出すかどうかの違いも大きいですが、少なくとも愚痴っぽい気持ちにならない人はいないと思います。

愚痴は、苦しみの一つの表現だからです。

苦しいこと、イヤなことが無い人はいません。

自分の思い通りにならないときに、その不平不満をせめて誰かに分かってほしい、共有したいという気持ちが、愚痴というカタチになります。

なので、愚痴を吐くのはいいとは言えませんが、人間、吐いてはいけないと厳しく制限しすぎるのは、もっとツラくなりやすいのです。

精神科医としては、愚痴を吐かないように自分に厳しくしすぎて、苦しみを一人で抱え込んでしまうことの方が心配です。

2.自分が嫌いと思わずにすむ良い愚痴の吐き方

そう考えると、愚痴も吐き方次第ではないかと思います。

愚痴も、いい愚痴の吐き方と悪い吐き方があります。

悪い愚痴の吐き方とは、他人の人格を傷つけることを、本人に届く形でいうことです。

自分が嫌なことをされたときは、その相手を攻撃したくなる気持ちはわかりますし、反撃としての人格攻撃かもしれませんが、そういう苦しみの吐き方は、後味がよくありません。

対して、いい愚痴の吐き方は、自分のツラい気持ちを吐き出すことです。

主語は「自分」であり、自分の「イヤだった気持ち」をそのまま吐き出すのです。

できれば言葉づかいのトゲをちょっとでも抜いて。

「〇〇さんにこんなことを言われて、悲しくなった。」

「もっとこちらの言い分を聞いてほしかった」など、本当はこうしてほしかった、という素直な気持ちを吐き出せば、愚痴というような毒気が薄まります。

ゴミは、捨ててはいけないものではなく、捨て方が問題です。

ポイ捨てや、袋に包まず臭いがしてしまうような捨て方はよくないですが、しかるべきゴミ箱に捨てれば、それは善いことです。

ゴミ箱は「護美箱」ともいわれるように、愚痴も吐き出し方を丁寧にすれば、お互いの気持ちを汚すことなく、スッキリできるはずです。

3.まとめ

自分の苦しい気持ち、つらい悩みは、ある程度は吐き出さないと、ドロドロとしてきて、腐敗臭がするように自分でもどうにもできないほど溢れてきてしまいます。

人前でいえないような恨みや、妬み、そねみの心は誰にでもありますが、言葉の毒気をうすめて「人に言える程度の表現に変えて」ある程度は吐き出すことも必要です。

苦しいときは苦しいといえること、イヤなことはイヤだと主張できることは、健康な心を保つためには、必要なことだと思います。

グチってしまう自分がいるということは、それだけ疲れているんだなあと、いたわってあげてください。